kaitoの日記

自分らしく行こう!

なぜ私は成長しなくてはならないのか

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一般的に、会社は私たちに成長を求めます。

 

ずっと成長できれば理想ですが、現実は年を重ねるにつれて成長角度が鈍っていくもの。成長できなくなったら、自分の居場所がなくなるんじゃないか。そんな不安を感じながら働いている。

 

改めて「働く意味・意義」とはなんでしょうか?

 

・なぜ会社って成長しつづけなきゃいけないのか?

・なぜ私は成長しつづけなきゃいけないのか?

・最近よく聞く「脱・成長社会」ってありえるのか?

 

なぜ成長しなくてはならないのでしょうか。

成長することを選択する企業もあれば、成長しないことを選ぶ企業があってもいいはず。

 

なぜ全員が競争に強制エントリーさせられるのか。

そもそも社会が成長を私に求めてくるのはなぜなのか。

 

この疑問を考えつづけて、最近自分なりに1つ納得できる答えに辿りつきました。

 

その答えは

「成長が求められるのは、生産者が競争しつづけなきゃいけないから」

「競争がなくならないのは、私たちが生産者の競争を望んでいるから」

なのです。

 

 

 

私たちは、消費者でもあり、生産者でもある

 

私たちは、ある時は生産者であり、ある時は消費者です。

 

昼間は生産者として企業で働いていた人が、夜には消費者としてスーパーで買い物をします。

ちょうどカードの裏表のように、生産者の顔と消費者の顔がくるくる回って現れます。

 

当たり前ですが、この事実がとっても大切。

 

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そしてもう1つ大事なのが、

 

消費者として使ったお金が、生産者としてのお給料になる、ということ。

誰かの支出は、他の誰かの収入なのです。

 

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「選ばれる努力」をしつづけなきゃいけない

 

消費者の私は、商品・サービスを厳しく見定めます。

 

消費者のシビアな目線は、生産者の私を「競争にさらす」ことになります。

生産者の私は「選ばれる努力」をずっと継続しなくてはならないのです。

 

消費者の私はとっても厳しく、とっても気まぐれです。

安くて質の良いものが出てくると、すぐに乗り換えますし、

ライフスタイルが変わったり、価値観が変わったりすると、その商品を買わなくなります。

 

これは生産者の私から見ると、とってもしんどい。

でも、競争から降りることはできない。

 

改善を止めると、収入が減ってしまうから。

だから、生産者は競争せざるを得ないのです。

 

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競争がない社会は、生産者にとってのユートピアです。

だって競争しなくて良いわけです。会社からも「成長しろ」とは言われません。なんてすばしいことか。

 

しかし同時に、消費者にとっては最悪な社会でもあります。

生活水準がまったく改善されない。物やサービスを買うにも、ずっと不便なままです。

そんな社会、誰も望んでないでしょ?

 

繰り返しになりますが、生産者と消費者は、カードの裏と表です。

一方にとって理想な社会は、もう一方には大変つらい社会です。

どっちを選びますか?どっちが好みでしょうか?

 

賢い消費者であることは、誰もやめられない。

ライフが充実しないと、ワークも充実しない

 

だから、ほとんどのみんなは「消費者にとって理想の社会」を選ぶ。

つまり、競争に巻き込まれる運命にあるということ。

 

 

脱・成長社会にリアリティがない理由

 

このメカニズムがあると気付いてから

 

「世の中から競争をなくすってのは、ぜったい無理なことだな」

と思いましたし

 

「資本主義から抜けるなんてイメージできないし、脱・成長なんてリアリティないな」

と感じました。

 

脱・成長社会を実現するってことは、賢い消費者であることをやめるってこと。

そんなこと誰も望んでない。

 

 

まとめ

 

そっか、競争がなくならず、成長を求められ続けるのは、

消費者である自分が望んだ結果なのか

 

と思った瞬間に、生きづらさから少し解放された気がしました。

 

消費者と生産者は、カードの裏と表。

一方の理想は、もう一方の地獄

 

そんな宿命に生きている以上、私たちは「生きづらさ」と折り合いをつけながら生きていかなければならない。

 

生きづらさが解消されたわけじゃないが

構造がわかり、言語化されると、少し楽になる。

これが、私の「生きづらさ」への向き合い方。

 

これからも、感じた「生きづらさ」を1つ1つ言葉にしていく。