私もこうなりたい!できるようになりたい!という憧れの感情を、私は「ワナビーの悪魔」と呼んでいます。ワナビーとはWannaBeのことで、何者かになりたがる人のことです。
すごい人のすごいエピソードを聞くと「私もこれやらなきゃ!これ始めなきゃ!」とテンションが上がります。本人は良い刺激をもらった気持ちになっていますが、実は逆で、コンプレックスを刺激された無意識の反射でしかない。そのため少し経つと、やっぱり自分はダメだった落ち込んでしまう。
「憧れから来る精神的な昂り」を感じたら「どうやらワナビーの悪魔が近くに来たらしい」と思うようにしています。
これは自分の感情のログをとっていて気づいたことなのですが、「このままだと生き残れないかも…」といった不安と、「あの人みたいになりたい!」という高揚感って、真逆の精神状態のように見るのですが、根本は一緒なんですね。どちらもコンプレックスを刺激されて自分を見失っているだけ。
なぜ気づかないかというと、高揚感は気持ちよさゆえ前進している錯覚があって、知らぬ間に問題を隠してしまうからです。
憧れは、時に毒になります。結局、自分しかいませんし、自分に合ったやり方は自分で見つけるしかないわけです。何かを新しいことを習得したい、それによって誰かになりたい、と現実から目を背けて悦に入らず、地味に他の誰でもない自分と向き合っていくことを、もっと大切にしませんか?という話でした。