kaitoの日記

自分らしく行こう!

最近、キリスト教に興味があって少しずつ学び始めています。

 

最近、キリスト教に興味があって少しずつ本を読んでいます。ひとことにキリスト教といっても色々あるのですが、私が読んでいたのは、三浦綾子さんの小説で、「塩狩峠」「銃口」「泥流地帯」などを読みました。いい本です。これまでキリスト教はとても遠いところにあったのですが、これらの本のお陰で、ぐっと身近になりました。

他にもコテンラジオで宗教改革や十字軍について学びました。Wikipediaで調べたり、chatGPTに質問したりして、どうやってキリスト教が世界に受け入れ、広がっていったのかも理解し始めました。カトリックプロテスタントの違いもわかってきて、勉強するのが楽しくなっています。


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このように、いろいろ興味をもって学んでいるのですが、特に一番よかったのが「人は善悪を判断できるのか?」という考え方でした。※三浦綾子さんの小説で扱われていたテーマでした。

 

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私たちは「善因善果、悪因悪果」という考え方を持っています。

よい行いをすれば、よい結果がもたらされる、と私達は信じています。逆に悪いことがあったら、日頃のおこないが悪いからとか、前世で悪いことをしたからとか、なにか悪い出来事を引き起こす原因があるのではないかと考えます。そして、自分がよい行いをしていると信じるほど、結果がでないと苦しくなります。なぜ自分はこんなに報われないのかと、世間を恨む。そういうふうに、「善いことをすれば善い結果になる。悪いことをすれば悪い結果になる」という「善因善果、悪因悪果」という考えを私たちはもっています。

 

でも、キリスト教ではこれを否定しています。「良い悪いが判断できるほど、人間は賢いのですか?」と問うのです。その時は不幸でも、長い目で見る良い結果に結びつくこともあります。その逆もあります。また、死んでから名声を得る人もいますが、その人から見ると自分の人生には「いいことがなかった」と判断しているかもしれません。このように、なにか起きたときに良いか悪いかを人間に判断することはできないのです。むしろ、善悪を判断するのは傲慢であるとも言えるかもしれません。

 

つまりキリスト教は「善悪の即時的な結果に囚われちゃいかんよ」と教えるのです。これは私にとって、とても大切な考え方。ひいては自分の運命についてのしっかり洞察し、人生への視点を変えるきっかけになる。これが、私が最近キリスト教がすばらしいなと感じている理由です。