昨日は、久々の広尾
お気に入りのパン屋「トリュフベーカリー」で
パンを買いました。
前に買ったのは、もう1年以上前。
相変わらずの美味しさでした。
…というか、以前よりも美味しくなってた。
1歳半の娘も、
白トリュフパンが気に入ったみたいで
丸々1個たいらげました
素敵な家族時間をありがとう。
「トリュフベーカリー」はおすすめのパン屋さんなので
ぜひ足を運んでみてほしい
昨日は、久々の広尾
お気に入りのパン屋「トリュフベーカリー」で
パンを買いました。
前に買ったのは、もう1年以上前。
相変わらずの美味しさでした。
…というか、以前よりも美味しくなってた。
1歳半の娘も、
白トリュフパンが気に入ったみたいで
丸々1個たいらげました
素敵な家族時間をありがとう。
「トリュフベーカリー」はおすすめのパン屋さんなので
ぜひ足を運んでみてほしい
私は無宗教…ではない。
「宗教は?」への回答は「強いて言うなら仏教徒です」だけど
「何か信じている?」への回答は、一言ではまとめられない。
そういう感覚を、文章でまとめて残しておきたくなった。
まずは、一般的な「無宗教な日本人」のイメージと、自分とを比較してみる。
同じところ、違うところはなんだろうか?
リストアップしてみると、私が沖縄出身ということもあり、沖縄と本土の風習の一般的な違いが見てきた。
私の家には仏壇がある。仏壇を中心に親戚があつまる風習が沖縄にはある。
いずれ仏壇を継ぐものとして、親からは仏壇の話を何度も聞いた。
お盆になったら、年末年始になったら、
おじいちゃんやおばあちゃんが死者の世界から帰ってくる。
手を合わせれば、死者の世界にご報告できる。
そういう感覚をもっている。
…という感覚だ。
死後の世界との物理的距離は遠いけど、心理的な距離はとても近い。
天国とは、死者が穏やかに暮らす場所、くらいのイメージだ。
死んだらみんな天国に行くのだ。極楽、とはちょっと違う。
…という感じだ。
地獄や輪廻転生を信じるかは、人によって違うところだろう。
たぶんこの「神様がいると思っている」という感覚は、たぶん他の人よりは強いものを持っていると思う。母がそういう系だったことが影響してそうだ。
ちなみにご先祖さまとの違いは
神様とは、お天道様の感覚にちかいかもしれない。
多くの日本人・沖縄県民と共通するところは多いだろう。
ただし、全く同じ死生観をもってる人は、たぶんいない。
それは、私の死生観が、沖縄という土地、両親の教え、本の影響、などから重層的に生成されたものだからだろうか。
改めて「あなたは何を信じますか?」という問いには、こう答えたい
ピクスタ社CTOの後藤さんのブログ。
ソフトウェアエンジニアリングの改善指標を経営指標のどこと紐づけ、ボードとのコミュニケーションをやりやすくなるか、という観点で書かれた意欲ポスト。
正直まじで理解できないところばかりだが、すこしずつ読み込んで、理解できるようになりたい。
私の実家は沖縄にある。
仏壇は、長男の私が継ぐことになる。
父親の年齢が70歳を超えた。
仏壇をどう継ぐか、考えなくてはならない。
父からは、こう言われている
仏壇は、死んだ人のためにあるのではない。
生きている人のためにあるものだ
だから、どう扱うかは私と私の妻で決めてくれ
ただし、ご先祖を大切にするという魂だけはちゃんと引き継いでほしい
ご先祖を大切にする、かぁ…
二十歳になるまえに上京した。
沖縄の風習をあまり知らない。
どれほどちゃんと継承できるのか
正直ぜんぜん自信がない。
とはいえ、いずれ決めねばならない。
・実家は残すのか
・仏壇はどうするのか
難しい問題である。
とはいえ、私なりの現時点での結論はある
沖縄の風土・雰囲気が好きだ。
だから、何も制約がないのだとすれば、実家は残したい。
実際には
・実家のメンテナンス代
・実家への交通費・滞在費
・税金系
がかかってくるだろう。
この負担増は、正直痛い。
しかし、実家というかけがえのないモノ
自分のために残しておきたい
だから、足りなくなったら稼ぐなりして頑張りたい
私は先祖を身近に感じていたいと思っている
今は人的ネットワークが東京にあるので、
仏壇が沖縄にあるのは、私の望みに反する
だから仏壇はもっていくことにする
先祖様とつながるのは仏壇だ
逆にお墓は、私のなかでは単なるシンボルでしかない
よってそのままになっても構わない。
だから沖縄においていこうと思う
https://laiso.hatenablog.com/entry/2023/12/31/185940
技術系のpodcastがたくさん紹介されている。
ちょうど2、3日前からfukabori.fmを聴き始めたころだったので、このまとめはありがたかった。
本を含めた大半のコンテンツは、ゴミか毒だ。
ゴミは役に立たないのでわかりやすいとして、問題は毒の方だ。
毒はうまいので、ずっと食べ続けてしまう。役に立つ・気持ちいい・頭が良くなった気がする。頭がグルグルして、次から次へと情報収集を続けてしまう。ちょうど、お腹が空いてスナックを食べるが、いつまでも満たされない感じに似ている。
たとえば世界情勢や日本政治を勉強するのはいいこと、だとされているが、本当か。中途半端にわかりやすく、知的好奇心を刺激するコンテンツは、むしろ毒ではないか。
わかった気になって、学びを止め、他者にマウントを取り、口だけ出して行動しない酩酊おじさんと化してないか。
どうやったら毒を避け、本当の精神的な健康を取り戻せるのか。
私たちが学ぶのは知性を磨くためだ。知性を磨く目的は、大きく次の4つである。
もっとザックリまとめると、要は
である。
たとえば、世界情勢や日本の政治を勉強しても、それが大局観の形成につながっていなければ、それは毒でしかない。世の中に憤り絶望しても、何の意味もない。
大事なのは、自分自信をみつめる材料になっているかどうか。人生が見直されていれば、価値はあったと言えよう。
YouTubeで中田さんのチャンネルを好んで見ているが、自分自身を見つめる材料になったかどうかを点検し、今後のコンテンツ選びに活かしていくことが求められる。
注意したいのは、酩酊状態で「人生が見直されているか」の問いに応えるのは難しい。ひとまず、時間を置かなければならぬ。
年末年始は暇であった。
28日に仕事納め。29日と30日は、娘と家でのんびりするも、暇になっても公園しか行き先がない。31日から2日は義理の両親の家でのんびり。3日も家でのんびりだった。
ずっとのんびりしかしていない。
暇になると、本を読んだりYouTubeを見たりして、仕事をしている時には考えないようなことまで考え出す(たとえば日本政治がどうとか、人生の原理原則がどうとか)
日本の政治や人生の原則について考えるのは良いことだと考えられているが、私にとっては、頭が知的興奮でずっとグルグルしている状態で、しかも着地させる先がなく、ずっと浮足立っている状態だ。
知的興奮中は気持ちいいのだが、引いてみると"酩酊状態"に近く、他人から見ると勝手に気持ちよくなっているタダの役立たずである。
いわば知的興奮という名の”毒”にやられているのだ。
暇は毒だ。
私自身の精神的な健康のためにも、自分が興味のあるところだけ知っておき、それ以外の世の中の動きには、なるべく無関心でいたい。
世の中に詳しくなるよりも、他人のために草一本でもむしってやるほうが尊い。
そういう価値観で生きていたいし、自分の行動を律していきたい。
暇の毒でやられるのは、今後も繰り返されるものだと考えると、何かしらの対策しておきたい。はたと「年末年始の旅行はどうだろう」と思いつく。
そういえば年末年始は海外に行く人が多いが、国内の実家で暇にやられるよりは、旅行でもしていたほうがよっぽど有意義である。
海外が理想だが、子どもが小さいので国内。そうなると、私の実家がある沖縄が選択肢として上がってくるが、実家に帰っては元も子もない。来年は沖縄で「旅行をする」というプランを検討してみたいと思う。
暇といえば、「暇と退屈の倫理学」だ。読んだことがなかったのでAmazonのレビューを探していたところ、こんなレビューを見つけて「なるほど~」となった。
私を傷つけた毒の正体は、暇そのものではなく、デフォルトモードネットワークから引き出される「痛む記憶」だったらしい。
私が本書で一番面白いと思ったのは、むしろ増補新版で追加された「傷と運命」という章でした。ここでは「なぜ人間は退屈するのか」を脳科学の知見から考えますが、脳の3つのモード(1)デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)、(2)前頭頭頂コントロールネットワーク(3)サリエンス・ネットワーク、からその理由を考えている点が非常に興味深かったです。退屈とは、DMNになったときに心の中に沈殿していた痛む記憶がサリエンシーとして内側から人を苦しめる、という説は説得力を感じました。
暇と退屈という概念についていろいろ考えるきっかけを与えてくれる