暇は毒だ
年末年始は暇であった。
28日に仕事納め。29日と30日は、娘と家でのんびりするも、暇になっても公園しか行き先がない。31日から2日は義理の両親の家でのんびり。3日も家でのんびりだった。
ずっとのんびりしかしていない。
暇になると、本を読んだりYouTubeを見たりして、仕事をしている時には考えないようなことまで考え出す(たとえば日本政治がどうとか、人生の原理原則がどうとか)
日本の政治や人生の原則について考えるのは良いことだと考えられているが、私にとっては、頭が知的興奮でずっとグルグルしている状態で、しかも着地させる先がなく、ずっと浮足立っている状態だ。
知的興奮中は気持ちいいのだが、引いてみると"酩酊状態"に近く、他人から見ると勝手に気持ちよくなっているタダの役立たずである。
いわば知的興奮という名の”毒”にやられているのだ。
暇は毒だ。
知識よりも大事なこと
私自身の精神的な健康のためにも、自分が興味のあるところだけ知っておき、それ以外の世の中の動きには、なるべく無関心でいたい。
世の中に詳しくなるよりも、他人のために草一本でもむしってやるほうが尊い。
そういう価値観で生きていたいし、自分の行動を律していきたい。
余談1:来年の対策を考える
暇の毒でやられるのは、今後も繰り返されるものだと考えると、何かしらの対策しておきたい。はたと「年末年始の旅行はどうだろう」と思いつく。
そういえば年末年始は海外に行く人が多いが、国内の実家で暇にやられるよりは、旅行でもしていたほうがよっぽど有意義である。
海外が理想だが、子どもが小さいので国内。そうなると、私の実家がある沖縄が選択肢として上がってくるが、実家に帰っては元も子もない。来年は沖縄で「旅行をする」というプランを検討してみたいと思う。
余談2:”毒"の正体
暇といえば、「暇と退屈の倫理学」だ。読んだことがなかったのでAmazonのレビューを探していたところ、こんなレビューを見つけて「なるほど~」となった。
私を傷つけた毒の正体は、暇そのものではなく、デフォルトモードネットワークから引き出される「痛む記憶」だったらしい。
私が本書で一番面白いと思ったのは、むしろ増補新版で追加された「傷と運命」という章でした。ここでは「なぜ人間は退屈するのか」を脳科学の知見から考えますが、脳の3つのモード(1)デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)、(2)前頭頭頂コントロールネットワーク(3)サリエンス・ネットワーク、からその理由を考えている点が非常に興味深かったです。退屈とは、DMNになったときに心の中に沈殿していた痛む記憶がサリエンシーとして内側から人を苦しめる、という説は説得力を感じました。
暇と退屈という概念についていろいろ考えるきっかけを与えてくれる