kaitoの日記

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「バリアフリーじゃない読書」が身の回りには意外と多い

今日は最近知った「読書バリアフリー」という概念について書いてみたいと思う。

「ハンチバック」を読んだ人ならわかるのだが、「読書」というのは健常者に最適化されたものに形になってる。健常者には何も問題がないので気づかない。しかし、なにかしらの障害を持つ人にとって、「読書」は健常者にくらべて超えるべきハードルがそこそこ多い。

それこそ「ハンチバック」の女性主人公のように、背骨が曲がって体の自由がきかない人にとっては、ページをめくること・持ち上げること・長時間同じ姿勢で座ること、これらが死ぬほど大変で、読書体験というのは、大変な苦労を伴うものになっている。

なるほど…そういう過酷さもあるのか…と思って周りを見てみると、意外と「めくる」「もちあげる」というの一部の人にとっては大変なことなんだと気づいたエピソードがある。私の1歳の娘の話だ。

知能が発達してないので、当然、本は読めない。大きくなれば自然と本を読めるようになるだろう。しかし仮に、体の自由は今のままで、知能は発達する形で成長したとしたらどうなるだろう。(まるで映画「エスター」みたいな世界観だ)

  • まずページを捲るのが大変だ。本のページは1枚1枚薄いので、体の自由が効かないと、数ページまとめてめくってしまい、焦れったくてイライラする。
  • さらに字が小さいのも問題だ。1歳の子どもの視力は0.3程度らしい。文庫本のような文字サイズだと、本はぜんぜん読めないだろう。
  • 本の装丁も、もっと丈夫であってほしい。赤ちゃんは本を丁寧に扱えない。意図せずビリビリにしたり、折り曲げてしまったりするだろう。

こう考えると、読書というのは、健常で体が動かせて目がしっかり見える人向けのプロダクトだということがわかる。

これに気づくと「バリアフリーじゃない読書」が身の回りには意外と多いのだという事実に気づく。たとえば老人になると、遠視になり、指が乾く。頁がめくれなくて指をペロッと舐めるシニアをよく見るが、普通なら「老いたのだからしょうがない。本はこういうもの」と捉えてしまう。でも、よく考えてみると問題なのは「老いたシニア」じゃなくて「バリアフリーじゃない読書」の方じゃないか、といった形だ。

実際、次のような障害を持つ人には、「バリアフリーじゃない読書」はこういった形で現れてくる。

  • 視覚障害: 点字じゃないと、印刷物を読めない
  • 聴覚障害: 音声化された書籍やオーディオブックの内容がわからない
  • 運動障害: ページをめくる、本を持ち上げる、長時間同じ姿勢で座る、が困難
  • 認知障害: 複雑な文や概念を理解できない。レイアウトが必要
  • 車椅子: 図書館や書店に物理的にアクセスできない

こんな感じで並べてみると、意外とバリアフリーじゃない読書の実態が浮かび上がってくる。今私も、オーディブルで本を楽しんでいるけど、耳が聞こえなくなると本当に辛い。長時間同じ姿勢でいることができないから、読書が苦痛なものになってしまう。特に小説が読めない。小説は、聴くのは好きなのだが、読むのは苦痛なのだ。

こうやってまとめてみると、読書バリアフリーな世界が来るというのは、どこかの世界線にいる自分を救うことになるのだと感じる。最近は、Kindleが普及したり、Audibleが普及したりして、昔よりもずっとバリアフリーな世界が近づいている感覚がある。テクノロジー、すごい。

以上、「バリアフリーじゃない読書」が身の回りには意外と多いのだ、という話でした。