kaitoの日記

自分らしく行こう!

「青い芝の会」の川崎バス闘争から考える、社会福祉と主権と闘争

日本の障害者福祉について調べていたら、「全国青い芝の会」という団体の存在を最近知った。主に1960年代から70年代に活動しており、青い芝の会を外して、日本の障害者福祉の歴史を語ることはできない、と言われている。調べてみると、けっこう面白かったので、今日はそのことについて書いていきたい。

「青い芝の会」の存在目的は、すべての障害者が地域社会で自分らしい姿で生活できるようにすること、である。よくあるNPOのスローガンのようだが、「青い芝の会」の活動は、かなりハードで過激である。

一番有名なのが「川崎バス闘争」で、脳性麻痺者の単独乗車に対する乗車拒否を受け、なんと、青い芝の会メンバーが川崎駅前でバスジャックを行った、という事件だ。バスの運転席のハンドルを破壊し、窓ガラスを割り、拡声器でアジを演説。約30台のバスに立てこもり、実力行使に出たそうだ。

バスジャック…?障害者が…?と、にわかには信じがたい。当時メディアでも大きく報道されたようで、YouTubeにも映像が残っている。脳性麻痺の障害者が、足をバタバタさせながら、バスの車掌2人に路上に連れ出されているシーンは、けっこうショッキング。

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青い芝の会が、日本の障害者福祉の歴史で外すことのできない重要な存在だと言われている理由は次のとおりだ。

  1. 当事者主導の活動: 全国青い芝の会は、脳性マヒ者(CP者)による当事者団体として設立された。健常者がつくった団体ではないというのがポイントだ。障害者自身が自らの権利を主張し、社会に変革を求める動きが、先駆的だった。
  2. 主張と闘争: 「川崎バス闘争」のような具体的な闘争を起こしたことで、社会全体の意識が変わり、障害者の権利が認識されるようになった。

つまり、障害者が主体となって闘争を起こしたことが、ショッキングでもあり、かつ社会への影響が大きかった、ということである。そして、この闘争がきっかけとなって、障害者も健常者と同じ主権をもつ人間なのだという認識が広まったし、公共施設のバリアフリー化、法制度の整備、社会参加が進んでいった。社会全体の意識が変わっていったのである。

私がこの青い芝の会について書こうかとおもった理由がまさにこれで、主権とは与えられるものではなく、当事者が主張しなければ勝ち得ないものだということが、この青い芝の会の存在や活動によって深く理解できたのだ。当事者の声や行動がいかに重要であるかを示す、良い例となっている。

翻って私はどうかと考える。30代、既婚、子持ちの健常者。彼らと違って、自分には最初から権利が与えられているように思う。でも実はそうではなく、気づかずそういうものだと受け入れて問題意識を持ててないものも多いかもしれない。まさに、青い芝の会が生まれる前の日本の障害者のように、こうあるのが当たり前、仕方ない、社会はそういうものだ、となっているかもしれない。

たとえば、男性であることによる「家族を養う」という伝統的な役割。子持ちであることによる「良い親であるべき」という期待。多くの社会的なプレッシャーが存在する。これらの期待や役割は、一般的には「当たり前」とされていることが多いため、問題意識を持つことが難しい。例を出した私も、なかなかそれが「問題だ」とは思えない。

権利が与えられているということは、裏を返せば、既存の価値観の中で絡め取られているとも考えられる。権利の中に無理やり時分を押し込めてしまっていることもあるかもしれない。

全国青い芝の会の闘争を知ったことで、自分自身の生き方や価値観を見直す良い機会となった気がする。自分がどのような社会的な役割や期待を持たれているのか、それに対してどのように向き合うべきなのかを考えていきたい。