kaitoの日記

自分らしく行こう!

こんなに死が怖いのは、医療が発展した現代に生まれたからこその、構造からくる必然である

ちょっと前に「人はどう死ぬのか」という本を読んだ。けっこう良かったので、今日はこの本の感想を書いていきたい。

著者は在宅診療医で、数々の死を看取った経験がある。また外務省の医師として仕事をしていた時に、日本以外の国々で死をどう捉えているのかを見聞きした経験がある。そういった経験があるから、この本の「死ぬとはなにか」という話が面白かった。

特に面白かったポイントを読書メモに残していたので、それを共有したい。

 

・医療が発展すると、死ぬのが怖くなる

医療が未発達のときは、死がずっと身近にあり、いつ死ぬかは誰にもわからなかった。若い人でも病気にかかったり殺されたりして、突然死んでしまう可能性がある。

でも、医療が発展すると、死を回避できるようになる。あれを食べろ、これをやるなの健康情報もあふれてくる。死を努力と工夫で遠ざけられるようになったからこそ、生への執着が高まり、死ぬのがどんどん怖くなる。

医療が発展するほど、生へ執着し、その執着が死への恐怖を生むというのはなんとも皮肉な話だと思った。

 

・痛みや苦しみは、拒絶するほど大きくなる

死を恐怖するほど、「苦しんで死ぬのは嫌だ」「痛いのは嫌だ」となり、ピンピンコロリで痛みなく死ぬことへの憧れが高まる。でも、死はコントロールできない。多少なりとも死ぬ前というのは、痛かったり苦しかったりするものだ。

しかし、痛みや苦しみは拒絶するほど大きくなる。たとえば、少しの痛みを我慢すれば在宅で死ねたものを、それを拒絶し、なんとか病院で治してもらおうと救急車を呼ぶと、病院は治療をせざるを得ない。本人が辛くて苦しくても、延命処置をせざるをえなくなる。結果的に、もっと痛みや苦しみは強くなる。

痛みや苦しみを拒絶すると、さらに大きくなって返ってくる、というの話は、病院搬送の例に限らず、人生に共通して言える普遍的なことだとも感じた。

 

私は死ぬのが大変怖いと思ってしまうタイプなのだが、それは、コントロールできるはずもない死を拒絶し、なんとかコントロールしようとする執着心から生まれているものなんだと認識できたのが、この本を読んだ一番の収穫だった。

かつ、私がこんなに死を怖がるのも、医療が発展し、死が身近に感じにくくなった現代に生まれたからこその、構造からくる必然であることも理解できた。

死はコントロールできない。それに、死は痛いし苦しいものである。そういうものだ。人生は自分の思い通りにはならない。そう心に留めながら生きていこうと思う。