この前、「ハンチバック」を読みました。著者から喧嘩をふっかけられたような読み心地で、なんだかモヤモヤが残る本でした。てめぇ自分が恵まれた立場にいることがわかっているのか?と突然叱られたような気分でした。
その後、障害者と福祉と当事者主権について学びました。
その昔、青い芝の会という障害者団体があり、実力行使で主権を訴えたところ、TVで大騒ぎになり、健常者vs障害者というわかりやすい大きな分断をうんだ。その結果、障害者にも人格があるのだと認められ、障害者の主権が認められた歴史があることを知りました。
障害者の主権とは、社会に闘争をしかけた結果として獲得されたもので、決して平和的な手段によるものではなかったのです。
つまり何が言いたいかと言うと、社会を良くするには闘争と分断が必要なんじゃないか、ということ。
そう考えると「ハンチバック」が喧嘩をふっかけられたような読み心地に仕上がっているのも納得が行きます。社会から認められるには、社会に喧嘩を売らなければならないことを、作者は知っていたのだと思います。
最近、「社会が分断されている」と言われていますが、本当にそうなのでしょうか。
どちらかというと、小さな分断はありとあらゆるところに存在するが、一方で社会的イシューになりえるほどの大きな分断が生み出せていない、という、とても中途半端な状態なのではないでしょうか。
社会を良くしていくためには、小さな分断を気にするよりも、もっと大きな分断を生み出すにはどうすればいいか、ということを考えていくべきなのかもしれません。